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大籠キリシタン殉教公園への道のり② 東北のキリシタンの歴史をふんわり学ぶ

大籠というのは岩手県県南部、ほぼ宮城との県境にあります。一関市ではあるけど、気仙沼の方が近いかも。とにかく宮城からも岩手県内からも絶妙にアクセスが悪い。 私生まれも育ちも岩手県だけど、生まれて初めて行ったわ。

 

仙台藩におけるキリシタン

さて、そもそも九州や西日本が中心だったキリスト教信仰が、なぜ江戸時代初期にこの遠く離れた東北の田舎にまで広まったのか。そのあたりが疑問だったのですが、それには伊達政宗が大きく関係しています。

 

大籠は当時伊達政宗がおさめる仙台藩でした。

んで政宗キリスト教の布教に関して超ユルユルだったんです。最初の禁教令とかほぼシカト。

というのもルイス・ソテロさんというスペインの宣教師が、政宗の側室の病気を治してくれたから。ソテロくんに「病気治したから布教していい?」って聞かれたら政宗くんも了解せざるを得ないじゃん。つか宣教師ってだいたい「我が国の技術や知識や物資を提供する代わりに布教していい?」って感じだったっぽい。あとスペインとの交易をしたかったのもあるのかな。

更には自分の部下の支倉常長をソテロくんと共にスペインに行かせてローマ教皇に謁見させたりします。そして支倉くんが紹介してくれた超優秀な部下、ソテロくんとの取次をしていた後藤寿庵が界隈では割と偉めのキリシタンでした。この後藤寿庵なくして岩手のキリシタンの歴史はなかったのでは。県南地域、特に奥州市の人なら名前を聞いたことがある人もいるかもしれません。当時水不足で困っていた奥州市水沢の地に水路をひいて堰を作ってくれたそうで、今でも寿庵堰として残ってます。

寿庵くんはルイスくんとの取次から農地改革から奥州の布教まで担っためちゃくちゃ仕事の出来る人だったんですよ。この人のこともあとでちゃんと調べてみたいなぁ。

 

そして更にもうひとつ、東北には鉄資源が豊富だった。金山や鉱山があり、製鉄が盛んでした。かつて奥州藤原氏が栄えていたのもこのおかげ。

 

鉱山あるところにキリシタンありです。ポイントは2つ

  • 質の高い製鉄の技術を教えたのは海外から来た宣教師だった

製鉄の高い技術は宣教師たちによって日本人に教えられ、ついでに(どっちがついでなのか)キリスト教の教えも広まったらしい。

んで元々「たたら製鉄」(もののけ姫のアレ)を行っていた大籠に千松兄弟という岡山のキリシタンの兄弟が、より質の高い製鉄の技術を教えに招かれます。この人たちが大籠の民にキリスト教の教えを広めたと言われています。

※めちゃくちゃ長い蛇足。この千松兄弟というのは実在していなくて、この正体は後藤寿庵と、大籠で長い間教えを説いていたバラヤス神父であり、禁教令により罪人となった二人の名前を公に語ることは出来ないので千松兄弟として語り継がれていたのでは…という説を説いているブログがありました。調べてみたら確かに時代の辻褄が若干合わないんだよなぁ。ザビエルが来たのは1549年で九州で細々布教して、その後織田信長が京都での布教を許したのは1568年。岡山でキリスト教が広まったとされるのが1585年。岡山から千松兄弟が来たとされてるのは1558年。おかしくない?だから千松兄弟=後藤寿庵・バラヤス神父説もあながち間違いではないのでは?と思います。

f:id:doburoku-taro:20211126223722j:image説教されてる訳では無いと思う。教えて貰ってんだと思う。

「新しい製鉄法も教えてくれたし、なんかいい事言ってるし凄い人だな〜!」と感動した田舎モンは改宗しちゃう訳ですよ。知らんけど。そりゃ何もないこんな田舎で仕事(製鉄)以外特にやることも娯楽もない中、外国から来た新しい神様の教えなんて、もはやそれはエンタメじゃないですか。イタリアから来たマリトッツォだって大ブームになったじゃないですか。田舎にスタバが出来たら行列が出来るじゃないですか。イオンが出来たらみんな行くじゃないですか。私の憶測だから実際のところどうだかは分かりませんけど、こんな感じもあったんじゃないかと思うんですよね。そもそもこの頃の日本におけるキリスト教の教えって浄土真宗の教えと若干混同されてる気がするんで(信仰すれば天国に行ける=死ねば極楽浄土に行ける)とっつきやすかったんじゃないかな。

あとこれは遠藤周作の小説「沈黙」の中で語られていたけど、その時の日本の寺(仏教)って、だいたい政治とセットなんだよね。坊主はだいたい権力者の味方だった。(日本じゃなくても他の国でも宗教と政治はセットだったんだろうけど)高い税金ばっか取る権力者の味方である仏教(坊主)と、階級や身分を持たない庶民が豊かに暮らしていくための技術や知識を授けてくれるキリスト教宣教師だったら、果たしてどっちを信用するか?って話ですよ。

もう蛇足ばっかりになってしまった。蛇足がメイン。

 

千松兄弟のおかげでどんどん増えてく大籠のキリシタン。ついには地元の寺や神社がなくなります。f:id:doburoku-taro:20211126234449j:imagef:id:doburoku-taro:20211126234559j:image追い出された、とか逃げた、って書いてあるの穏やかじゃないね。今でも大籠地区にはお寺がないんだって。

 

  • 東北には鉱山がたくさんあった

中尊寺金色堂が出来るくらいだからそりゃまぁ金だのなんだのたくさん採れたんでしょう。

当時の鉱山は元々流れ者が多く、治外法権のような場所だったらしいです。なので隠れキリシタンが潜伏しやすかった。そういえば昔秋田の尾去沢鉱山に行った時に、坑道の壁に小さな窪みがあって、そこにマリア像だか十字架だかの(行ったの10年近く前だからどっちだか忘れてしまった…)ようなものを掘った跡があるのを見たことがありました。

調べてみたら盛岡藩でも紫波の佐比内金山などがあったのと、あとはやっぱり寿庵くんの影響もあって少なくないキリシタンが居たそう。

 

蛇足ばっかりでごちゃごちゃしてしまったけど、まとめると

  1.  藩主である伊達政宗くんがキリスト教に寛容だった
  2. 支倉常長くんも後藤寿庵くんも頑張った
  3. 鉱山がいっぱいあったので製鉄教えてもらう代わりに布教させた
  4. 鉱山がいっぱいあったので禁教令が出ても隠れやすかった

迫害されていたキリシタン達にとって、仙台藩は「最後のパライソ」だったのかもしれません。

 

何度も言うけどふんわりと調べてふんわりとまとめているので、出来事が前後してたり矛盾してたりするし、おまけに私の解釈も混じってたりしてるので、ちゃんと知りたい人はちゃんと調べてください…。

岩手のキリシタンの事を調べようと本を探したんだけど、岩手の歴史の出来事だし図書館に行けばあるかな?と思って行ってみたら、藤沢町で刊行している「大籠の切支丹と製鉄」という同人誌みたいな見た目の冊子が地元の図書館にありました。これはその辺の本屋さんやネットでは買えないので有難かった。大籠の資料館でも売られているらしいです。欲しい人は大籠へ行こう。

 

次回はようやく!実際に行ってきた大籠の資料館や史跡の事を書きたいと思います。