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大籠キリシタン殉教公園への道のり① 日本のキリスト教の歴史をふんわり学ぶ

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岩手県一関市藤沢町に「大籠キリシタン殉教公園」というのがあります。岩手県民でもあんまり知ってる人いないかもしれない。ほぼ宮城だし。その名の通り大籠地区のキリシタンが殉教した、という歴史を後世に語り継ぐ為の施設です。

そういう施設があるよ〜というのはなんとなく知っていたけど、マジで踏み絵くらいしか知識が無かったので「どうせ行くならきちんとキリシタンの事を知ってからの方が良いのでは!?」と行く前に色々調べたのでまとめてみました。

wikiとか本とかで調べたことをふんわり自分なりにまとめているだけなので、ちょっと違う部分もあるかもしれません、鵜呑みにしないでください。

 

まずは日本におけるキリスト教の歴史を知る

布教から弾圧までの流れ

歴史の問題です。

問.キリスト教が日本に伝来したのは何年か。また誰が行いましたか?

解.なんか信長とかがいるあたりにザビエルがやった。

以下こんな感じで進みます。

別にテスト受けたりするわけじゃないんで年号とかは端折っていきます。あくまでふんわり。

そう、あの有名なフランシスコ・ザビエルです。蛇足だけど実はザビエルってハゲてなかった説ある。

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まずキリスト教には「カトリック」という派閥と「プロテスタント」という派閥があるんだけど、(仏教でいう曹洞宗とか浄土真宗とかの違いだとふんわり思ってくれ)その頃ザビエルんちのあたりではプロテスタントがめちゃくちゃ勢いを増していたので、こいつぁ負けてらんねぇ!とカトリックのザビエル達イエズス会達は布教の旅に出ます。

 

信長は寛容だった

んでインドのゴアを経由して中国に行く途中にたまたまついでに日本に寄って、最初鹿児島だかで布教してたんだけど、なんやかんやあってイエズス会織田信長の庇護を受けて最初は京都、次は九州を中心に日本にキリスト教を広めて行くわけです。信長ほらそういうの好きそうじゃん、なんか外国のアレとか好きそうじゃん。あと寺嫌いだからね信長くんは(比叡山延暦寺焼き討ちとかしちゃうし)

この頃日本において改宗したキリスト教(カトリック)信者はキリシタンと呼ばれました。九州あたりの大名もたくさんキリシタンになりました。(交易に有利だったので。鉄砲とか貰える。わーい)

 

豊臣秀吉は追放令を出した

んで本能寺の変で信長がやられちゃったあと、豊臣秀吉が日本を治めてた訳だけど、布教自体は容認していました。

ただ秀吉のオキニの坊さんが「ポルトガルの人たちが日本人を奴隷として海外に連れ去ってる」とか秀吉にチクッたんですよ。それ聞いて秀吉くんカチンときちゃって、宣教師は日本を出てって下さい!とバテレン追放令」を出します。

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バテレン追放令では単純に布教が禁止されてただけなので、信仰や海外との交易は制限されませんでした。しかし交易に紛れ込んで残ったり新たにやってきた宣教師と信者は色々調子こいちゃったので(外国商船の人に日本舐めプ・征服発言された)とうとう秀吉くんはブチ切れして日本人含めた信者26人を処刑してしまいます。長崎に舟越保武の有名な彫刻あるじゃん、それがこれです。

そもそもキリスト教の布教=日本の植民地化という側面もあったそうなので、秀吉くんの判断もごもっともと思えなくもない。とにかくめちゃくちゃ勢いを増していたキリシタンが脅威だったんですね。一揆とか怖いし。

重ねて言うけどバテレン追放令においてはキリスト教の信仰は許されていたので、ここで一般のカトリック信者が弾圧されることはありませんでした。

 

徳川江戸幕府のはじまりとキリシタン弾圧

んで関ヶ原で秀吉もやられたあとは徳川の世になり、家康によってこんどは禁教令が出されます。きっかけが何だったかな、なんか外国船とトラブったとかそんな感じ。この辺利権が絡みまくっててマジでややこしい。でもここではキリシタンの弾圧はそこまで厳しくなかった。宣教師などの流刑はあっても処刑はない。

しかし徳川の代が変わるごとに弾圧が厳しくなる。二代秀忠はかの有名な踏み絵させたり、この頃に関西や九州で大規模なキリシタンの捕縛、そして殉教がたくさんありました。拷問しまくり。

三代家光の頃になると全国でキリシタンの処刑が起こります。江戸で50人、東北で109人、長崎で38人。もう我慢ならねぇとキリシタンが中心になって一揆を起こしたんだけど、これが島原の乱(歴史上一番大規模な一揆天草四郎のやつ。天草四郎については戦国鍋TVのシマバラン伝説聴いて下さい。シマバラン伝説/ 天草四郎と島原de乱れ隊 - YouTube)ただ宗教以外の理由も絡んでの一揆だったから、この一揆で亡くなったキリシタンは殉教者としてカウントされていないんだとか…。

しかしこの島原の乱のおかげで更に弾圧が強まる。

 

ちなみにこの時代かどうか忘れたけど、キリシタンを密告すると報奨金貰えたそう。その報奨金が銀30枚というのを見て「イスカリオテのユダ…皮肉…」と思いました…

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イスカリオテのユダとはキリストの弟子でありながらキリストを裏切って敵対勢力に売り、その褒賞として銀貨30枚貰った人です。

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キリスト教に興味がわいた人は聖☆おにいさんを今すぐ買え。ただし読むと葬式とか法事の度に笑うことになる。

 

苛烈な拷問と隠れキリシタン

キリスト教殉教者 記念研修会館

ここを読んでくれ……

あとこれも見てくれ……

遠藤周作の小説を映画化。私は予告でもうちょっと無理かもと思った。こんな重々しいオリジナルしおり(4枚セット)誰が欲しいんだよ。あと3時間近くあるんだよこの映画。大籠行く前に観ようと思ってたけど、観たら逆に行けなかったかもしれない。

あくまで棄教させるための拷問だったらしいんだけど、こんなの棄教どころか普通に死ぬ。あと仙台の広瀬川がそんな場所だったなんて全然知りませんでした…。

海を越えてやってきた宣教師の中には純粋にキリストの教えを広めたいと思って、日本のキリシタンと信頼関係を築いてた人もたくさん居たんだろうに。別にクリスチャンじゃないけどこれには同情せざるを得ない。

こんな感じで拷問があまりにも酷かったので、棄教した人もたくさんいたと思います。だけど棄教したフリをしたりして、密かに信仰を続けていた人達もいたのです。それが隠れキリシタンと呼ばれる人達。

人里離れた洞窟の中でミサをしたり、様々な方法で十字架やマリア像を隠し持ち、祈り続けました。

そんな隠れキリシタンがいた場所のひとつが「大籠」なのでした。

 

 

 

前フリだけで長くなっちゃったけど、果たしていつ大籠にたどり着けんだろう。